2009年01月04日
小説
一本しか持っていないネクタイ
長い時間を送り、多くの人と出会う人生の中で、たったひとりの人が、そしてその中の一年たらずの時間がこれほどぼくに影響を及ぼすとは自分でも不思議なことだと思う。
ぼくはネクタイというものをたった一つしか持っていない。三十五歳になる今もネクタイを一つしかもっていないということは、今もネクタイをする必要がない仕事に就いているということになる。
それはぼくが、ずっとネクタイというものをもうしないと誓ったあの日からぼくはネクタイを買うことを、そして、ネクタイをする職業も避けてきたからだ。
十八歳のときの、いまから十七年も前に誓ったことが今の、そしてこれからのぼくの生活に影響を及ぼしていくなんて、当然のことのような、また、不思議なことのような気がする。
十七年前、まだぼくが女の子とキスもしたことがなかった十代の頃、やたら女の子が奇麗に見えた。
夏のはじめなどは、教室の窓際に座っていた女の子の髪が窓から入る白い光の逆光になってその輪郭が栗色に染まって、まるでそこからいい初夏のかおりがするようだった。机に広げられたノートはちょうどいい具合にそんな光を反射してその光を浴びた美しく視界にうかぶ白い肌と栗色の髪をぼくは授業中にぼんやりと見ていた。
女の子というものがぼくにとってもっと具体的なものになるのはそんな時間を過ごす日々からすこしたった頃、あるひとりの女の子に出会ってからだ。
彼女はクラスは違うが同じ高校で同じ学年の女の子だった。
たまたま高二のときに行った修学旅行のホテルの廊下でぼくは彼女に声をかけた。今でもその廊下のことをよく憶えている。ちょうどそこは二階の廊下で一階のホールに続く螺旋階段の手前のところだった。
なぜ彼女に声をかけたのか今考えてもわからない。
不思議なちからがそうさせたとしか思えない。縁というやつだろうか。
その時、ぼくは彼女に夜になったら部屋を抜け出して海を見に行かないかと提案した。これはナンパ以外のなにものでもないように思われるかもしれないが、ぼくはその頃キスもしたことのない男で、ただ、彼女と夜の海をいっしょに見たい、ここから抜け出していっしょに冒険してみたいという思いだったのだろうと思う。
ぼくは彼女をその時までまったく知らなかったわけではない。たまに学校の廊下ですれ違ったことがある。
彼女もぼくのことを知っていた。
「時々、廊下ですれ違うね。」
彼女もその時、そういった。
高校時代はとにかく「ここから抜け出す」ということについてなぜかそれがすごく面白くて、すこしどきどきして、興奮する時なのだ。少なくともぼくはそうだった。
どうせ「ここから抜け出す」のなら、シンデレラと抜け出したほうがいい。ぼくはそう思った。
だから考える暇も躊躇する暇もなく気がついたら彼女に声をかけていた。
そのとき断られなかったのがとてもラッキーだとそのとき思った。そしてうれしかった。
ぼくたちはその夜、日本海の海の音を聴きながらいろんな話をした。気がついたら空が明るくなってきて、太陽が昇ってきた。ぼくたちはふたりだけでそんな朝日がみられたことにとても幸せを感じた。ぼくたちはすべてのものからその時抜け出すことができたような気がした。家からも学校からも、そしてその他のあらゆるぼくたちに関わっているものから。
ぼくたちはそうして最初からふたりで美しいものを見ることができた。
その日からぼくたちは付き合うようになった。
当時の高校生だからそのつきあい方はかわいいものである。
いっしょに映画に行ったり、図書館に彼女が行くのに付き合ったり、公園を散歩しながらいろんなことを話したり、そんなことだ。
そんな付き合い方をしていうちにはじめてぼくが彼女に触れたのは学校帰りに雨が降ったあの日だった。下校時のどしゃぶりの日にはそのまま家に帰る気なんておこらない。ぼくは彼女を誘って下校途中にある神社の境内にある大きな木の下のベンチにひとつの傘をさしながら座った。
いつもはそのベンチに座っていると毛虫が落ちてくる時もあって大変なときもあるのだが、その日のようなどしゃ降りの日にはその木が雨からぼくたちを守ってくれた。そこにいる間、かすかにその木からもれる雨が傘にあたる音とその木の葉が雨にうたれている音が重なっていた。
心地よい雨の音と静かな時間だった。
ぼくはそんな雨音を聴きながら彼女の肩を抱き寄せてキスをした。
ぼくはその日はじめてキスというものをした。
はじめてのキスは自然にできた。変にぎこちなくりきんだような初めてのキスでなくてよかった。
いつの間にか傘はどこかへ飛んでしまってすこし雨に濡れたけど、そんなことは気にならなかった。
その頃、ぼくは時間なんていくらでも自分にあると思っていた。
すくなくとも彼女がぼくの前から消えるまでは。
高三になったぼくの四月の誕生日に彼女はネクタイをプレゼントしてくれた。将来はぼくと結婚して毎朝ぼくにネクタイを締めてあげるねとそのとき言ってくれた言葉、ぼくはうれしかった。自分の将来がとても期待のもてる美しいものに思えた。
「ちょっとはやいけどね。まずは一本だけ。」
キスしかしたことのないぼくたちは、自分たちなりにその時結婚を約束していたのだ。
ほんとうにすこし早すぎたプレゼントだった。
ぼくが働き始めるまでにさらにいくつかそろえるはずのネクタイのはずだったが、今もその一本だけしかぼくは持っていない。
大学受験もそろそろあと半年という頃、大学をめざしていた彼女は本格的に勉強をはじめた。お互い大切なときに勉強しよう、将来のお互いのために。ぼくたちは、というより彼女はそういったので会うのは学校の廊下で休み時間に少し話す程度にして残りの時間は受験勉強に充てることにした。
ぼくはその時からカメラを持って彼女を写真に撮ることをはじめた。あまり会えないのだったら写真に撮って眺めていようと、ぼくはそう思ったのだ。
写真部の友人に現像方法を教えてもらって、それらの写真はモノクロフィルムを使って自分でプリントまで仕上げていた。弱く赤い暗室電球の下で水に浸かった印画紙に少しずつ浮かび上がってくる彼女。いつもそんな水の中の彼女はぼくに微笑みかけていた。ぼくは実際に彼女に会う時間が減った分、暗室電球にすこしずつ現れる彼女をみつめていた。飽きることのない自分の時間。その時、彼女は印画紙という紙のなかで完全に時間が止まった世界にいた。休み時間の廊下で会う数分間の短い時間が写真にするとそれが永遠に続くような長い時間に思えた。ぼくは彼女に会えない間、そんな止まった時間の世界に満足していた。時間の止まった中にいる彼女に再びぼくは恋をしていた。
紙の上にいる時間の止まった彼女に出会い、再びそんな彼女に恋をしてしまったことがはたしてよかったことなのかわからない。ただそのときはいつまでも永遠に時間の止まった世界からぼくに微笑みかけてくれる彼女にぼくは満足できた。ずっとこれからもかわらずぼくのことを愛してくれるという安心のようなものを感じていたのだ。
モノクロ写真に制服はよく似合った。
彼女が写真の世界だけでなく、実際に永遠の人になってしまったのはそれから数ヶ月後のことだった。二月の彼女の誕生日も待たずに彼女は交通事故でこの世から突然いなくなってしまった。
予備校の帰りにたまたま彼女の従姉の車に乗っていて交差点でトラックと衝突事故を起こしたらしい。助手席にいた彼女は左からぶつかってきたトラックから逃げることはできなかった。
そんなこと、信じられなかった。
結婚して毎朝ぼくのネクタイをしめてあげるね、って言っていた彼女が突然いなくなってしまったのだ。
彼女がぼくに残していってくれたものは、キスしたあの日の雨音と、まだ印画紙の上で微笑んでいる彼女と、誕生日にぼくにくれた一本のネクタイだけのような気がした。
途方もない喪失感。
つらいという言葉だけでは整理できないぼくの感情。
いやだ、もうこんな気持ちを味わうのは。
苦しくて葬式になんか行けないと思った。
しかし、一方でぼくは彼女に何か今してあげなければいけない、ぼくしかできないことを。そんな気持ちだけが喪失感でガタガタになったぼくを支えていた。
ぼくは彼女の両親にぼくの撮った彼女の写真を遺影に使ってもらうようにお願いした。あの休み時間の廊下で今もぼくに微笑みかけている時間の止まった彼女を彼女の両親に見せてお願いした。
葬式当日、彼女を撮ったぼくの写真はぼくだけではなくすべての人に微笑みかけていた。
亡くなった人はぼくだけにではなく、すべての人に平等にその美しい微笑みを与えられるんだな、とぼくは思った。
それは大きな力だね、ケイコ。
これがぼくにできる精一杯のことだったんだよ。
そのときぼくは彼女に誓った。
あなたがぼくにくれたネクタイしかぼくは一生しないからね、と。
ナンセンスな誓いかもしれない。しかし、十八歳のぼくが誓えることといえばそのことしかうかばなかった。
それからなにがなんだかわからないうちにぼくはある私立の美術大学に進学した。学科があまりできなくてもなんとか入れるということもあったが、ここを卒業してもネクタイからは縁がない仕事ができるだろうという気がしたからかもしれない。
その大学でぼくは写真を専攻した。
しばらくは写真を撮ることや、写真の処理の技術を学んでいくのは楽しいことだった。
たくさんの写真を撮ったと思う。
彼女を失った喪失感も忘れそうになるくらいに。
そしてその間に何人かの女の子と寝た。
しかし、大学を卒業する四年間のうちにぼくは少しずつ苦しくなっていった。
時間を一枚の紙の上に止めてしまう写真は美しい反面、残酷だ。ぼくの生きている世界はどんどん変っているのに、その紙の上だけはいつまでもその時間のままだ。
そのことをぼくはどうとらえたらいいのだろう。
どうしてケイコはまだ制服を着て、高校の休み時間の廊下でぼくに微笑みかけているのだろう。
ぼくは結局ケイコしか愛せない。ほかの女の子となんとなく寝てもぼくにとっては何の意味も感じられなかった。
ぼくは大学を卒業すると、ネクタイをつけることを拒否するばかりか、就職すらせずにパスポートを持って神戸から船に乗って旅に出た。
今しかできないことをやろうとか、今しか見られないことを見ようとかというよりも、ぼくはぼんやりとしたいくつかの自分の抱える苦しさから逃れようとしていたのかもしれない。
上海行きのその船は翌朝にはコーヒー色した海の上を航海していた。ぼくは多くの家電製品を抱えて本国に戻る中国の人に聞いてみた。
「どうして海がこんな色をしているんでしょうね。」
その人は言った。
「あなた、これは海じゃない。河だよ。長江という河だよ。上海はもうすぐだよ。」
ぼくはそのスケールの大きさに驚いた。
海と思っていたのが河だったのだ。
自分が小さくみえたのと同時にぼくは旅の世界の大きさを知った。 このときの感激からぼくは旅にとりつかれ、その間、しばらくは自分のなかで彼女のことも写真のこともごまかすことはできた。
多くの国に行った。そして多くのものを見て多くの人に出会った。
しかし、ひとりになったとき、いつも思い出す旅の生活の記憶は安ホテルの天井に取り付けられている大きな扇風機の羽根がけだるそうにまわっている様子、赤い夕日を浴びた異国の人の長い影。
いったい何年間ぼくは「ここから抜け出す」ことばかりをやっていなければいけないんだろう。
そう思い始めたのは旅をはじめてから約三年後。
きりのいいところで金がつきた。そこはイスタンブール だった。
ぼくは日本までの航空運賃の六百ドルを残して、日本領事館まであと三ヶ月で失効するパスポートを作った。それは旅の最後のいい記念になるだろうと思った。これからぼくはどう変れるのかわからないままに。
日本領事館はイスタンブールの新市街のゆるやかな坂道を登った丘のところにあって、ぼくはその日、そこで自分の新しくできたパスポートを受け取って、その坂道を降りていた。
旧市街にある自分の泊まっている安ホテルに戻る途中だった。
その時、その坂道を登ってくるひとりの東洋人の女の子が見えた。
日本領事館に向かうこの坂道を登ってくる東洋人は日本人しかいない。
ぼくは声をかけてみた。
「もう十一時だから領事館閉まってるけど。」
彼女は意外そうな顔をして「そう。」とだけ言った。
「元気ないね。」
ぼくの言った言葉が彼女には優しく聞こえたのかもしれない。
近くの公園で少し話をすることにした。
この公園は新市街の丘からアジアとヨーロッパの境目となるボスポラス海峡が見渡せる。ガラタ橋もその端のほうがすこし見える。
彼女はイタリアからイスタンブールに向かう列車の中で財布をすられたらしい。今あるのは別のかばんのポケットに入れておいた四百ドルだけ。ここからだとバンコクまでぎりぎり戻れるくらいのお金だ。それだけでは日本までは届かない。幸いにもパスポートは無事だったようで、この日は日本領事館に送金についてくわしいことが聞きたかったようだ。
公園のベンチに座り、坂をゆっくりと下っていく赤いバスを遠くに見ながら、ぼくは彼女に言った。
「このまま送金してもらって日本に帰ったらなんだか自分が負けたような気にならないかい。何にってわけじゃないんだけどさ。」
旅している時の良さは会って数十分後にはこういう話ができることにあると思う。旅している時は自分と同類の人を見分ける嗅覚のようなものが不思議と鋭くなっているような気がする。彼女の旅の動機はわからないがその旅している間の気持ちはわかるような気がする。たぶん、ぼくとどこか似ているような、そんな気がした。
ぼくはもう旅をはじめて数年がたつこと。そして、いつも「ここから抜け出す」ということにぼくは今もとらわれ続けているけど、そろそろそういった自分に区切りをつけたいということを彼女に話した。
その公園のベンチに座っているぼくのとなりにいる彼女のまつげの長い横顔、逆光の日の光で栗色に染まる髪をみているとぼくはそういった自分の視界に映った景色に以前いつか見た懐かしいものを感じて思わず彼女を新しい旅に誘った。
「ねえ、このまま自力で日本に帰らないかい。」
「えっ、どうやって。」
「ハンガリーのブタペストで北京行きのシベリア鉄道の切符が三十八ドルで売っているらしいんだ。信じられないような話だけど、実際にハンガリーから来た何人かの旅行者に聞いた話だし、有名な話だよ。ガゼじゃない。どうしてだか、きみといっしょに日本に帰りたくなったんだよ。これはナンパじゃなくて、ぼくが長くとらわれていた「ここから抜け出す」ってことに決別するための最後のセレモニーとして、きみをその思い出にしたいんだ。」
彼女はしばらくぼくの瞳をみつめて言った。
「いいよ。行ってみようよ。」
言ってはみたものの、ここから日本まで四百ドルでたどりつくのはほんとうにぎりぎりのところだった。いかに効率よく日本までの船が出ている上海までたどりつくか。上海から日本までの船賃ですでに二百ドルくらいするのだ。残り二百ドルでとにかく上海まで行かなくてはならない。食費や宿泊費はなんとかぼくが持っている余分の手持ちの二百ドルから出せばいい。まずは情報からだ。
この街の旧市街に以前、日本にいたことがあるという主人がいる絨毯屋があってそこの二階には多くの旅行者が残していったいろんな情報が書かれたノートがある。こういうものが残されているというところがアジアとヨーロッパが交差する街、イスタンブールらしい。さっそくまずはその絨毯屋に行ってみた。
ぼくたちはその日から三日後の夕方にはルーマニアの首都、ブカレスト行きの夜行バスに乗っていた。バス代は八ドル。ブルガリアの通過ビザに十四ドル。シベリア鉄道の切符が三十八ドルなのに通過ビザが十四ドルとは東側の国はいったいどうなっているのだろう。ハンガリーのビザが八ドル。ルーマニアの通過ビザは無料である。ブルガリアはそのままバスで通過して翌日の朝ブカレストに到着する。そのままブタペストへの国際列車に乗れるがブカレストからブタぺストまで通しで切符を買うと四十ドル。しかし、現地通貨で国境までの切符を買ってハンガリーに入ったときに今度はハンガリーの現地通貨でブタペストまで切符を買うと合計八ドルですむらしい。当時、東側諸国の現地通貨はブラックマーケットで買うのが常識だった。銀行の公定レートと実質レートは大きく開きがあったからである。ぼくはイスタンブールに商品を買い付けにきているルーマニア人やハンガリー人が多くいることを知っていた。きっとイスタンブールにそれらの国の通貨があるはずだと思っていくつか商店をまわったら五軒目くらいに行った店が持っていてぼくらに必要な分だけ売ってくれた。
駆け抜けるとはこのことをいうのだろう。旅を始めて数年たつが、このような駆け抜ける旅もいいものである。
気がついたらブタぺスト。ドナウ河にかかるエリザベート橋が美しい街だ。あらかじめイスタンブールの情報ノートで調べていた宿まで行ってチェックイン。その晩死んだように眠って、翌日ついにハンガリー国鉄の切符売り場へ。その前に学割料金で切符を買うためにブタぺスト医科大学の学生生協のようなところでなぜか何の証明もなく国際学生証を作ってくれるのでそこでなつかしい自分の出身大学の学生証を作ってもらう。彼女はなぜか高校の学生証。彼女は高校生なのか。そんなことを聞く暇もなくハンガリー国鉄の切符を買いに国際線売り場へ行った。売り場のブースの前には前に5人くらいの人が並んでいる。ここまで来てほんとうに北京まで三十八ドルで買えるのだろうかとすこしどきどきした。とうとうぼくたちの番がきた。ぼくは売り場のブースの金髪の女性に言った。
「北京までセカンドクラスで二枚ください。」
その金髪女性はどこかへ電話をかけて分厚いノートをひろげてなにか連絡をとっている。そしてしばらく切符になにかを書き込んでぼくに言った。
「セブンティーシックスダラー。」
あの情報ノートは本当だった。
ぼくたちは興奮した。乗り換えのモスクワから北京までの座席予約は空白になっているが、モスクワ駅でなんとかなるだろう。英語は通じるだろうかという不安はあるが乗り換えまでにはたっぷり時間はある。それにしても五割引きの学割切符とはいえこれだけ長距離の鉄道の切符が三十八ドルとは安い。おそらく当時から市場経済を少しずつ進めてきたハンガリーではソ連ルーブルが実質レートとして計算されていたのだろうと思う。当時のルーブルの公定レートと実質レートは約二十倍の差があったと聞く。
そんなことを考えながらの次の仕事は中国とソ連の通過ビザを所得することだ。中国の通過ビザは二十ドルでとれた。そしてソ連大使館へ向かう。ソ連の通過ビザは十ドルらしい。そこは長蛇の列だった。しかし、ビザをもらえず窓口から追い返される人も多い。ぼくはその理由に興味を持って何人かの人に聞いてみた。その結果、なんとモスクワから北京までの予約済み切符でないとビザは下りないことがわかった。その予約済み切符はソ連系の旅行会社が二百五十ドルで売っているらしい。ここから北京まで二百五十ドルというのも安いがぼくたちはその時そんな余裕もなかった。ここであきらめられない。ぼくもここまで来てしまってはもう自分の持ち金では日本に帰れない。彼女の親の送金でぼくも日本へ帰ることになるのか。それではまったくの大敗だ。なんとかならないものだろうか。頭を抱えているとふと、この切符を買ったときのことを思い出した。あの切符売り場の金髪女性は発券する前、電話をかけていた。ふつう切符を発券するときはコンピュータを使わないか。ぼくは購入した切符を見てみた。ボールペンの手書きでブタペストからモスクワまでの座席予約が書いてある。あの彼女が書いたものだ。おそらくこの国は中国と同じくまだコンピュータが切符発券には使われていないのかもしれない。こうなれば賭けに出るしかない。もう一枚同じ切符を買ってぼくが手書きでモスクワから北京までの予約をボールペンで書くのだ。ぼくたちにはこの賭けしか残されていなかった。この賭けが成功するか不安はあったが、反面、我ながらいい考えが浮かんだものだと自分で感心していた。もうこの手しかないという開きなおりだったのだろう。
翌日、シベリア鉄道の二等がどの車両なのか慎重に調べてもう一つ購入した切符に自分で同じ青いインクのボールペンでぼくが自分で、書いた。
そして再びソ連大使館へ。この国に来てどきどきするのは切符購入に次いで二回目だ。窓口は昨日の係官とは違うようだ。ぼくは通過ビザが欲しいことを告げた。係官は切符とパスポートを見せるように言った。ぼくは内心どきどきしながら自分の手書きの切符とパスポートを見せた。本物だが偽物という不思議な切符だ。係官はその切符とパスポートにある中国のビザを一瞥してぼくにビザの申請用紙を渡した。
成功した。
彼女にその切符をそっとわたしてしばらく時間をあけた後、続いて彼女が申請窓口の列に並んだ。
「成功したね。あとは列車に乗るだけだよ。」
それから十日後、ぼくたちは大阪南港の埠頭に立っていた。
「ここからならひとりで帰れるわ。」
彼女は笑ってそう言った。
きっと彼女は最初からぼくのことをある程度理解していてくれていたに違いない。あらためてぼくはそう思った。
「ぼくがもう何かから逃げることから何かを求める人間に変れたと思った時、また会おう。」
そう言ってぼくは彼女と別れた。
その時、彼女は長い間ぼくが抱えていた何かをいっしょに連れていってくれたような気がした。彼女と一緒にぼくの中にずっとあった何か石のような硬くて重いものがぼくから離れて行った。これからはもうぼくはいつもなにかから逃げる生き方から決別するのだ。
死んだケイコに会う前からぼくはいつも何かから逃げようとしていた。むしろケイコの死がぼくに教えてくれたのだ。あの時、ぼくはこれからずっとケイコがくれたネクタイしかしないと誓った。おそらくそれはそんないままでの生き方から決別する瞬間の始まりだった。
イスタンブールで出会ってぼくと駆け抜けるような旅に付き合ってくれた埠頭を歩く彼女の後ろ姿がケイコとだぶった。彼女は今いくつなのだろう。十八だったらケイコと同じ歳だ。彼女はどうして旅に出ようと思ったのかぼくにはわからない。しかし、ひとりで旅する人間同士がわかりあえる気持ちは同じだと再び思う。だから彼女はぼくに付き合ってくれたのだと思う。シベリア鉄道の車内ではふたりともひたすら眠っていた。そこは駆け抜けてきた旅のゴール手前で与えられた貴重なベッドだった。列車の振動に身を任せて食事以外はひたすら眠った。時々目を開けた時に見えた、くるまったシーツからのぞいた眠っている彼女の髪が忘れられない。
ありがとう。ほんとうにぼくは彼女にそういいたかった。ケイコは天国から、そしてこの彼女は日本のどこかからぼくをこれからも見続けていてくれるだろう。多少遅めのスタートかもしれないがぼくはやってみようと思う。自分から何かを求める生き方を、そしてケイコがくれたネクタイしかしない人生を送ることを。
あれからもう十年がたつ。ソ連という国はそれからしばらくしてなくなって、ぼくは森で林業に携わることになった。今ではあの頃より体重も増えて筋肉もだいぶついたと思う。住む人も少ない森の中での仕事だが、ぼくには森で仕事をする毎日は落ち着きを与えてくれる。決して楽ではないその仕事を終えた日は必ず自分が今ではもうどこからも逃げていないと確認できるからだ。もちろんネクタイをする仕事ではない。ぼくは以前にくらべて少しくらいは強くなれたかもしれない。もしかしてあの旅に付き合ってくれた彼女はケイコだったのかもしれないという気さえ今はする。きこりをしているのもはじめてケイコとキスしたのがあの大きな木の下だったからだろうか。
今もぼくはケイコがくれた一本のネクタイしか持っていない。
pink
長い時間を送り、多くの人と出会う人生の中で、たったひとりの人が、そしてその中の一年たらずの時間がこれほどぼくに影響を及ぼすとは自分でも不思議なことだと思う。
ぼくはネクタイというものをたった一つしか持っていない。三十五歳になる今もネクタイを一つしかもっていないということは、今もネクタイをする必要がない仕事に就いているということになる。
それはぼくが、ずっとネクタイというものをもうしないと誓ったあの日からぼくはネクタイを買うことを、そして、ネクタイをする職業も避けてきたからだ。
十八歳のときの、いまから十七年も前に誓ったことが今の、そしてこれからのぼくの生活に影響を及ぼしていくなんて、当然のことのような、また、不思議なことのような気がする。
十七年前、まだぼくが女の子とキスもしたことがなかった十代の頃、やたら女の子が奇麗に見えた。
夏のはじめなどは、教室の窓際に座っていた女の子の髪が窓から入る白い光の逆光になってその輪郭が栗色に染まって、まるでそこからいい初夏のかおりがするようだった。机に広げられたノートはちょうどいい具合にそんな光を反射してその光を浴びた美しく視界にうかぶ白い肌と栗色の髪をぼくは授業中にぼんやりと見ていた。
女の子というものがぼくにとってもっと具体的なものになるのはそんな時間を過ごす日々からすこしたった頃、あるひとりの女の子に出会ってからだ。
彼女はクラスは違うが同じ高校で同じ学年の女の子だった。
たまたま高二のときに行った修学旅行のホテルの廊下でぼくは彼女に声をかけた。今でもその廊下のことをよく憶えている。ちょうどそこは二階の廊下で一階のホールに続く螺旋階段の手前のところだった。
なぜ彼女に声をかけたのか今考えてもわからない。
不思議なちからがそうさせたとしか思えない。縁というやつだろうか。
その時、ぼくは彼女に夜になったら部屋を抜け出して海を見に行かないかと提案した。これはナンパ以外のなにものでもないように思われるかもしれないが、ぼくはその頃キスもしたことのない男で、ただ、彼女と夜の海をいっしょに見たい、ここから抜け出していっしょに冒険してみたいという思いだったのだろうと思う。
ぼくは彼女をその時までまったく知らなかったわけではない。たまに学校の廊下ですれ違ったことがある。
彼女もぼくのことを知っていた。
「時々、廊下ですれ違うね。」
彼女もその時、そういった。
高校時代はとにかく「ここから抜け出す」ということについてなぜかそれがすごく面白くて、すこしどきどきして、興奮する時なのだ。少なくともぼくはそうだった。
どうせ「ここから抜け出す」のなら、シンデレラと抜け出したほうがいい。ぼくはそう思った。
だから考える暇も躊躇する暇もなく気がついたら彼女に声をかけていた。
そのとき断られなかったのがとてもラッキーだとそのとき思った。そしてうれしかった。
ぼくたちはその夜、日本海の海の音を聴きながらいろんな話をした。気がついたら空が明るくなってきて、太陽が昇ってきた。ぼくたちはふたりだけでそんな朝日がみられたことにとても幸せを感じた。ぼくたちはすべてのものからその時抜け出すことができたような気がした。家からも学校からも、そしてその他のあらゆるぼくたちに関わっているものから。
ぼくたちはそうして最初からふたりで美しいものを見ることができた。
その日からぼくたちは付き合うようになった。
当時の高校生だからそのつきあい方はかわいいものである。
いっしょに映画に行ったり、図書館に彼女が行くのに付き合ったり、公園を散歩しながらいろんなことを話したり、そんなことだ。
そんな付き合い方をしていうちにはじめてぼくが彼女に触れたのは学校帰りに雨が降ったあの日だった。下校時のどしゃぶりの日にはそのまま家に帰る気なんておこらない。ぼくは彼女を誘って下校途中にある神社の境内にある大きな木の下のベンチにひとつの傘をさしながら座った。
いつもはそのベンチに座っていると毛虫が落ちてくる時もあって大変なときもあるのだが、その日のようなどしゃ降りの日にはその木が雨からぼくたちを守ってくれた。そこにいる間、かすかにその木からもれる雨が傘にあたる音とその木の葉が雨にうたれている音が重なっていた。
心地よい雨の音と静かな時間だった。
ぼくはそんな雨音を聴きながら彼女の肩を抱き寄せてキスをした。
ぼくはその日はじめてキスというものをした。
はじめてのキスは自然にできた。変にぎこちなくりきんだような初めてのキスでなくてよかった。
いつの間にか傘はどこかへ飛んでしまってすこし雨に濡れたけど、そんなことは気にならなかった。
その頃、ぼくは時間なんていくらでも自分にあると思っていた。
すくなくとも彼女がぼくの前から消えるまでは。
高三になったぼくの四月の誕生日に彼女はネクタイをプレゼントしてくれた。将来はぼくと結婚して毎朝ぼくにネクタイを締めてあげるねとそのとき言ってくれた言葉、ぼくはうれしかった。自分の将来がとても期待のもてる美しいものに思えた。
「ちょっとはやいけどね。まずは一本だけ。」
キスしかしたことのないぼくたちは、自分たちなりにその時結婚を約束していたのだ。
ほんとうにすこし早すぎたプレゼントだった。
ぼくが働き始めるまでにさらにいくつかそろえるはずのネクタイのはずだったが、今もその一本だけしかぼくは持っていない。
大学受験もそろそろあと半年という頃、大学をめざしていた彼女は本格的に勉強をはじめた。お互い大切なときに勉強しよう、将来のお互いのために。ぼくたちは、というより彼女はそういったので会うのは学校の廊下で休み時間に少し話す程度にして残りの時間は受験勉強に充てることにした。
ぼくはその時からカメラを持って彼女を写真に撮ることをはじめた。あまり会えないのだったら写真に撮って眺めていようと、ぼくはそう思ったのだ。
写真部の友人に現像方法を教えてもらって、それらの写真はモノクロフィルムを使って自分でプリントまで仕上げていた。弱く赤い暗室電球の下で水に浸かった印画紙に少しずつ浮かび上がってくる彼女。いつもそんな水の中の彼女はぼくに微笑みかけていた。ぼくは実際に彼女に会う時間が減った分、暗室電球にすこしずつ現れる彼女をみつめていた。飽きることのない自分の時間。その時、彼女は印画紙という紙のなかで完全に時間が止まった世界にいた。休み時間の廊下で会う数分間の短い時間が写真にするとそれが永遠に続くような長い時間に思えた。ぼくは彼女に会えない間、そんな止まった時間の世界に満足していた。時間の止まった中にいる彼女に再びぼくは恋をしていた。
紙の上にいる時間の止まった彼女に出会い、再びそんな彼女に恋をしてしまったことがはたしてよかったことなのかわからない。ただそのときはいつまでも永遠に時間の止まった世界からぼくに微笑みかけてくれる彼女にぼくは満足できた。ずっとこれからもかわらずぼくのことを愛してくれるという安心のようなものを感じていたのだ。
モノクロ写真に制服はよく似合った。
彼女が写真の世界だけでなく、実際に永遠の人になってしまったのはそれから数ヶ月後のことだった。二月の彼女の誕生日も待たずに彼女は交通事故でこの世から突然いなくなってしまった。
予備校の帰りにたまたま彼女の従姉の車に乗っていて交差点でトラックと衝突事故を起こしたらしい。助手席にいた彼女は左からぶつかってきたトラックから逃げることはできなかった。
そんなこと、信じられなかった。
結婚して毎朝ぼくのネクタイをしめてあげるね、って言っていた彼女が突然いなくなってしまったのだ。
彼女がぼくに残していってくれたものは、キスしたあの日の雨音と、まだ印画紙の上で微笑んでいる彼女と、誕生日にぼくにくれた一本のネクタイだけのような気がした。
途方もない喪失感。
つらいという言葉だけでは整理できないぼくの感情。
いやだ、もうこんな気持ちを味わうのは。
苦しくて葬式になんか行けないと思った。
しかし、一方でぼくは彼女に何か今してあげなければいけない、ぼくしかできないことを。そんな気持ちだけが喪失感でガタガタになったぼくを支えていた。
ぼくは彼女の両親にぼくの撮った彼女の写真を遺影に使ってもらうようにお願いした。あの休み時間の廊下で今もぼくに微笑みかけている時間の止まった彼女を彼女の両親に見せてお願いした。
葬式当日、彼女を撮ったぼくの写真はぼくだけではなくすべての人に微笑みかけていた。
亡くなった人はぼくだけにではなく、すべての人に平等にその美しい微笑みを与えられるんだな、とぼくは思った。
それは大きな力だね、ケイコ。
これがぼくにできる精一杯のことだったんだよ。
そのときぼくは彼女に誓った。
あなたがぼくにくれたネクタイしかぼくは一生しないからね、と。
ナンセンスな誓いかもしれない。しかし、十八歳のぼくが誓えることといえばそのことしかうかばなかった。
それからなにがなんだかわからないうちにぼくはある私立の美術大学に進学した。学科があまりできなくてもなんとか入れるということもあったが、ここを卒業してもネクタイからは縁がない仕事ができるだろうという気がしたからかもしれない。
その大学でぼくは写真を専攻した。
しばらくは写真を撮ることや、写真の処理の技術を学んでいくのは楽しいことだった。
たくさんの写真を撮ったと思う。
彼女を失った喪失感も忘れそうになるくらいに。
そしてその間に何人かの女の子と寝た。
しかし、大学を卒業する四年間のうちにぼくは少しずつ苦しくなっていった。
時間を一枚の紙の上に止めてしまう写真は美しい反面、残酷だ。ぼくの生きている世界はどんどん変っているのに、その紙の上だけはいつまでもその時間のままだ。
そのことをぼくはどうとらえたらいいのだろう。
どうしてケイコはまだ制服を着て、高校の休み時間の廊下でぼくに微笑みかけているのだろう。
ぼくは結局ケイコしか愛せない。ほかの女の子となんとなく寝てもぼくにとっては何の意味も感じられなかった。
ぼくは大学を卒業すると、ネクタイをつけることを拒否するばかりか、就職すらせずにパスポートを持って神戸から船に乗って旅に出た。
今しかできないことをやろうとか、今しか見られないことを見ようとかというよりも、ぼくはぼんやりとしたいくつかの自分の抱える苦しさから逃れようとしていたのかもしれない。
上海行きのその船は翌朝にはコーヒー色した海の上を航海していた。ぼくは多くの家電製品を抱えて本国に戻る中国の人に聞いてみた。
「どうして海がこんな色をしているんでしょうね。」
その人は言った。
「あなた、これは海じゃない。河だよ。長江という河だよ。上海はもうすぐだよ。」
ぼくはそのスケールの大きさに驚いた。
海と思っていたのが河だったのだ。
自分が小さくみえたのと同時にぼくは旅の世界の大きさを知った。 このときの感激からぼくは旅にとりつかれ、その間、しばらくは自分のなかで彼女のことも写真のこともごまかすことはできた。
多くの国に行った。そして多くのものを見て多くの人に出会った。
しかし、ひとりになったとき、いつも思い出す旅の生活の記憶は安ホテルの天井に取り付けられている大きな扇風機の羽根がけだるそうにまわっている様子、赤い夕日を浴びた異国の人の長い影。
いったい何年間ぼくは「ここから抜け出す」ことばかりをやっていなければいけないんだろう。
そう思い始めたのは旅をはじめてから約三年後。
きりのいいところで金がつきた。そこはイスタンブール だった。
ぼくは日本までの航空運賃の六百ドルを残して、日本領事館まであと三ヶ月で失効するパスポートを作った。それは旅の最後のいい記念になるだろうと思った。これからぼくはどう変れるのかわからないままに。
日本領事館はイスタンブールの新市街のゆるやかな坂道を登った丘のところにあって、ぼくはその日、そこで自分の新しくできたパスポートを受け取って、その坂道を降りていた。
旧市街にある自分の泊まっている安ホテルに戻る途中だった。
その時、その坂道を登ってくるひとりの東洋人の女の子が見えた。
日本領事館に向かうこの坂道を登ってくる東洋人は日本人しかいない。
ぼくは声をかけてみた。
「もう十一時だから領事館閉まってるけど。」
彼女は意外そうな顔をして「そう。」とだけ言った。
「元気ないね。」
ぼくの言った言葉が彼女には優しく聞こえたのかもしれない。
近くの公園で少し話をすることにした。
この公園は新市街の丘からアジアとヨーロッパの境目となるボスポラス海峡が見渡せる。ガラタ橋もその端のほうがすこし見える。
彼女はイタリアからイスタンブールに向かう列車の中で財布をすられたらしい。今あるのは別のかばんのポケットに入れておいた四百ドルだけ。ここからだとバンコクまでぎりぎり戻れるくらいのお金だ。それだけでは日本までは届かない。幸いにもパスポートは無事だったようで、この日は日本領事館に送金についてくわしいことが聞きたかったようだ。
公園のベンチに座り、坂をゆっくりと下っていく赤いバスを遠くに見ながら、ぼくは彼女に言った。
「このまま送金してもらって日本に帰ったらなんだか自分が負けたような気にならないかい。何にってわけじゃないんだけどさ。」
旅している時の良さは会って数十分後にはこういう話ができることにあると思う。旅している時は自分と同類の人を見分ける嗅覚のようなものが不思議と鋭くなっているような気がする。彼女の旅の動機はわからないがその旅している間の気持ちはわかるような気がする。たぶん、ぼくとどこか似ているような、そんな気がした。
ぼくはもう旅をはじめて数年がたつこと。そして、いつも「ここから抜け出す」ということにぼくは今もとらわれ続けているけど、そろそろそういった自分に区切りをつけたいということを彼女に話した。
その公園のベンチに座っているぼくのとなりにいる彼女のまつげの長い横顔、逆光の日の光で栗色に染まる髪をみているとぼくはそういった自分の視界に映った景色に以前いつか見た懐かしいものを感じて思わず彼女を新しい旅に誘った。
「ねえ、このまま自力で日本に帰らないかい。」
「えっ、どうやって。」
「ハンガリーのブタペストで北京行きのシベリア鉄道の切符が三十八ドルで売っているらしいんだ。信じられないような話だけど、実際にハンガリーから来た何人かの旅行者に聞いた話だし、有名な話だよ。ガゼじゃない。どうしてだか、きみといっしょに日本に帰りたくなったんだよ。これはナンパじゃなくて、ぼくが長くとらわれていた「ここから抜け出す」ってことに決別するための最後のセレモニーとして、きみをその思い出にしたいんだ。」
彼女はしばらくぼくの瞳をみつめて言った。
「いいよ。行ってみようよ。」
言ってはみたものの、ここから日本まで四百ドルでたどりつくのはほんとうにぎりぎりのところだった。いかに効率よく日本までの船が出ている上海までたどりつくか。上海から日本までの船賃ですでに二百ドルくらいするのだ。残り二百ドルでとにかく上海まで行かなくてはならない。食費や宿泊費はなんとかぼくが持っている余分の手持ちの二百ドルから出せばいい。まずは情報からだ。
この街の旧市街に以前、日本にいたことがあるという主人がいる絨毯屋があってそこの二階には多くの旅行者が残していったいろんな情報が書かれたノートがある。こういうものが残されているというところがアジアとヨーロッパが交差する街、イスタンブールらしい。さっそくまずはその絨毯屋に行ってみた。
ぼくたちはその日から三日後の夕方にはルーマニアの首都、ブカレスト行きの夜行バスに乗っていた。バス代は八ドル。ブルガリアの通過ビザに十四ドル。シベリア鉄道の切符が三十八ドルなのに通過ビザが十四ドルとは東側の国はいったいどうなっているのだろう。ハンガリーのビザが八ドル。ルーマニアの通過ビザは無料である。ブルガリアはそのままバスで通過して翌日の朝ブカレストに到着する。そのままブタペストへの国際列車に乗れるがブカレストからブタぺストまで通しで切符を買うと四十ドル。しかし、現地通貨で国境までの切符を買ってハンガリーに入ったときに今度はハンガリーの現地通貨でブタペストまで切符を買うと合計八ドルですむらしい。当時、東側諸国の現地通貨はブラックマーケットで買うのが常識だった。銀行の公定レートと実質レートは大きく開きがあったからである。ぼくはイスタンブールに商品を買い付けにきているルーマニア人やハンガリー人が多くいることを知っていた。きっとイスタンブールにそれらの国の通貨があるはずだと思っていくつか商店をまわったら五軒目くらいに行った店が持っていてぼくらに必要な分だけ売ってくれた。
駆け抜けるとはこのことをいうのだろう。旅を始めて数年たつが、このような駆け抜ける旅もいいものである。
気がついたらブタぺスト。ドナウ河にかかるエリザベート橋が美しい街だ。あらかじめイスタンブールの情報ノートで調べていた宿まで行ってチェックイン。その晩死んだように眠って、翌日ついにハンガリー国鉄の切符売り場へ。その前に学割料金で切符を買うためにブタぺスト医科大学の学生生協のようなところでなぜか何の証明もなく国際学生証を作ってくれるのでそこでなつかしい自分の出身大学の学生証を作ってもらう。彼女はなぜか高校の学生証。彼女は高校生なのか。そんなことを聞く暇もなくハンガリー国鉄の切符を買いに国際線売り場へ行った。売り場のブースの前には前に5人くらいの人が並んでいる。ここまで来てほんとうに北京まで三十八ドルで買えるのだろうかとすこしどきどきした。とうとうぼくたちの番がきた。ぼくは売り場のブースの金髪の女性に言った。
「北京までセカンドクラスで二枚ください。」
その金髪女性はどこかへ電話をかけて分厚いノートをひろげてなにか連絡をとっている。そしてしばらく切符になにかを書き込んでぼくに言った。
「セブンティーシックスダラー。」
あの情報ノートは本当だった。
ぼくたちは興奮した。乗り換えのモスクワから北京までの座席予約は空白になっているが、モスクワ駅でなんとかなるだろう。英語は通じるだろうかという不安はあるが乗り換えまでにはたっぷり時間はある。それにしても五割引きの学割切符とはいえこれだけ長距離の鉄道の切符が三十八ドルとは安い。おそらく当時から市場経済を少しずつ進めてきたハンガリーではソ連ルーブルが実質レートとして計算されていたのだろうと思う。当時のルーブルの公定レートと実質レートは約二十倍の差があったと聞く。
そんなことを考えながらの次の仕事は中国とソ連の通過ビザを所得することだ。中国の通過ビザは二十ドルでとれた。そしてソ連大使館へ向かう。ソ連の通過ビザは十ドルらしい。そこは長蛇の列だった。しかし、ビザをもらえず窓口から追い返される人も多い。ぼくはその理由に興味を持って何人かの人に聞いてみた。その結果、なんとモスクワから北京までの予約済み切符でないとビザは下りないことがわかった。その予約済み切符はソ連系の旅行会社が二百五十ドルで売っているらしい。ここから北京まで二百五十ドルというのも安いがぼくたちはその時そんな余裕もなかった。ここであきらめられない。ぼくもここまで来てしまってはもう自分の持ち金では日本に帰れない。彼女の親の送金でぼくも日本へ帰ることになるのか。それではまったくの大敗だ。なんとかならないものだろうか。頭を抱えているとふと、この切符を買ったときのことを思い出した。あの切符売り場の金髪女性は発券する前、電話をかけていた。ふつう切符を発券するときはコンピュータを使わないか。ぼくは購入した切符を見てみた。ボールペンの手書きでブタペストからモスクワまでの座席予約が書いてある。あの彼女が書いたものだ。おそらくこの国は中国と同じくまだコンピュータが切符発券には使われていないのかもしれない。こうなれば賭けに出るしかない。もう一枚同じ切符を買ってぼくが手書きでモスクワから北京までの予約をボールペンで書くのだ。ぼくたちにはこの賭けしか残されていなかった。この賭けが成功するか不安はあったが、反面、我ながらいい考えが浮かんだものだと自分で感心していた。もうこの手しかないという開きなおりだったのだろう。
翌日、シベリア鉄道の二等がどの車両なのか慎重に調べてもう一つ購入した切符に自分で同じ青いインクのボールペンでぼくが自分で、書いた。
そして再びソ連大使館へ。この国に来てどきどきするのは切符購入に次いで二回目だ。窓口は昨日の係官とは違うようだ。ぼくは通過ビザが欲しいことを告げた。係官は切符とパスポートを見せるように言った。ぼくは内心どきどきしながら自分の手書きの切符とパスポートを見せた。本物だが偽物という不思議な切符だ。係官はその切符とパスポートにある中国のビザを一瞥してぼくにビザの申請用紙を渡した。
成功した。
彼女にその切符をそっとわたしてしばらく時間をあけた後、続いて彼女が申請窓口の列に並んだ。
「成功したね。あとは列車に乗るだけだよ。」
それから十日後、ぼくたちは大阪南港の埠頭に立っていた。
「ここからならひとりで帰れるわ。」
彼女は笑ってそう言った。
きっと彼女は最初からぼくのことをある程度理解していてくれていたに違いない。あらためてぼくはそう思った。
「ぼくがもう何かから逃げることから何かを求める人間に変れたと思った時、また会おう。」
そう言ってぼくは彼女と別れた。
その時、彼女は長い間ぼくが抱えていた何かをいっしょに連れていってくれたような気がした。彼女と一緒にぼくの中にずっとあった何か石のような硬くて重いものがぼくから離れて行った。これからはもうぼくはいつもなにかから逃げる生き方から決別するのだ。
死んだケイコに会う前からぼくはいつも何かから逃げようとしていた。むしろケイコの死がぼくに教えてくれたのだ。あの時、ぼくはこれからずっとケイコがくれたネクタイしかしないと誓った。おそらくそれはそんないままでの生き方から決別する瞬間の始まりだった。
イスタンブールで出会ってぼくと駆け抜けるような旅に付き合ってくれた埠頭を歩く彼女の後ろ姿がケイコとだぶった。彼女は今いくつなのだろう。十八だったらケイコと同じ歳だ。彼女はどうして旅に出ようと思ったのかぼくにはわからない。しかし、ひとりで旅する人間同士がわかりあえる気持ちは同じだと再び思う。だから彼女はぼくに付き合ってくれたのだと思う。シベリア鉄道の車内ではふたりともひたすら眠っていた。そこは駆け抜けてきた旅のゴール手前で与えられた貴重なベッドだった。列車の振動に身を任せて食事以外はひたすら眠った。時々目を開けた時に見えた、くるまったシーツからのぞいた眠っている彼女の髪が忘れられない。
ありがとう。ほんとうにぼくは彼女にそういいたかった。ケイコは天国から、そしてこの彼女は日本のどこかからぼくをこれからも見続けていてくれるだろう。多少遅めのスタートかもしれないがぼくはやってみようと思う。自分から何かを求める生き方を、そしてケイコがくれたネクタイしかしない人生を送ることを。
あれからもう十年がたつ。ソ連という国はそれからしばらくしてなくなって、ぼくは森で林業に携わることになった。今ではあの頃より体重も増えて筋肉もだいぶついたと思う。住む人も少ない森の中での仕事だが、ぼくには森で仕事をする毎日は落ち着きを与えてくれる。決して楽ではないその仕事を終えた日は必ず自分が今ではもうどこからも逃げていないと確認できるからだ。もちろんネクタイをする仕事ではない。ぼくは以前にくらべて少しくらいは強くなれたかもしれない。もしかしてあの旅に付き合ってくれた彼女はケイコだったのかもしれないという気さえ今はする。きこりをしているのもはじめてケイコとキスしたのがあの大きな木の下だったからだろうか。
今もぼくはケイコがくれた一本のネクタイしか持っていない。
pink
Posted by eco at 22:51│Comments(2)│TrackBack(0)
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この記事へのコメント
新年おめでとうございます。pinkさん
こんな長ーいブログ読んだのだのはじめてかも・・・。
小説・・・って普段あんまり読まないけれど・・・って言うか読んでいる時間もないもの。
森の中、初めてのキス!
ワオー・・・!思い出させるやん。明治神宮の森の中17になったばかりの私を。
33年も前のことだけどね、その年の夏に予備校で出会って、なんとなーく付き合うようになって、気が付いていたら毎日お弁当を作って勉強しに出かけお昼休みに神宮の森の中でお弁当を広げ、他愛のないこと話して。
森の精がそうさせるのかもしれないが、突然話が途切れて・・・・。
気が付いたらおでこにキスされていた。
あはははははははっはーお正月そうそうなんてことを。
pinkさんて何者?
こんな長ーいブログ読んだのだのはじめてかも・・・。
小説・・・って普段あんまり読まないけれど・・・って言うか読んでいる時間もないもの。
森の中、初めてのキス!
ワオー・・・!思い出させるやん。明治神宮の森の中17になったばかりの私を。
33年も前のことだけどね、その年の夏に予備校で出会って、なんとなーく付き合うようになって、気が付いていたら毎日お弁当を作って勉強しに出かけお昼休みに神宮の森の中でお弁当を広げ、他愛のないこと話して。
森の精がそうさせるのかもしれないが、突然話が途切れて・・・・。
気が付いたらおでこにキスされていた。
あはははははははっはーお正月そうそうなんてことを。
pinkさんて何者?
Posted by norika
at 2009年01月05日 00:14
at 2009年01月05日 00:14>norikaさん
長い文章になってしまってすみません。でもたまにはいいでしょ。
17歳のころなんて時間がいくらでもあると思ってたし、自分の未来もいつも光ってると思ってました。
17歳ってまだまだ子供だしなにも知らない時代だけどでもあのころしかないみずみずしい感覚はいつまでも大切に覚えていたいです。
pink
長い文章になってしまってすみません。でもたまにはいいでしょ。
17歳のころなんて時間がいくらでもあると思ってたし、自分の未来もいつも光ってると思ってました。
17歳ってまだまだ子供だしなにも知らない時代だけどでもあのころしかないみずみずしい感覚はいつまでも大切に覚えていたいです。
pink
Posted by pink at 2009年01月05日 16:50
